成人の日におもう

 今日は成人の日でした。

 国民の祝日に関する法律では、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」としています。

 で、おとなって何?

 無邪気な子どもの質問ではなく、いや、本当に、そう問いたくなってしまう昨今のご時世なのですが、これ、「大人」の定義、存在価値というものが揺らいでいるということでしょうか。

 いや、「大人」がいなくなったからです。子どもだらけの世の中なのですよ、いまは。

 そんなことを、思う、鏡開き、出初め式、とんどさん、と続いた年初の行事をふりかえりながら思ったのでした。

 写真は、冬の太陽。1月6日、仕事はじめの日に、さくらおろち湖をぐるりとまわったときの撮影。

島根県立図書館で「西条柿に親しもう!」の展示

 今月いっぱい展示中です。立ち寄って、じっくり見ました。丹念な仕事であります。

 「見て!見て!わたしを見て!」という前のめりのPRか、「情報発信」という名のアリバイ仕事が、昨今の趨勢でありますが、そんな濁流の中にあって、瑞々しい輝きすら感じるほど。

 順序、配置、角度。そして押しピンひとつにまで、つくった人の配慮が入っている。柿に興味はなくとも一見したくなる。しまねの西条柿をゼロから知って、初段くらいまでの知識はここで入手できるであろう充実ぶりといえましょう。

 15分くらいしかおれんかったので、今度はまたじっくりと見てみたいものです。

http://www.lib-shimane.jp/shiryou/tenji/tenji_2013/tenji_201401.html

雪の朝に想う

 昨晩から降り積もっていた雪に戦々恐々。10日ほど前には50センチほども積もって、駐車場から車を出すのに1時間以上も雪かきをしたあげく、腰を痛めてしまった。ようやく腰もいえようといういま、再びの悪夢かあああと思いきや、積雪は10センチほどであった。

 10時も半をまわる頃からは陽光もさしてきて、雪の山々が輝いていた。

 日本海側に、世界有数の豪雪をもたらす気候が、いかに豊かな恵みをもたらしているか、その妙なる自然の贈り物の価値に、まだ私たちは自覚的になれずにいる。

 雪のある暮らしに誇りをもっていこうという動きが飯南町で始まっている。

 い〜にゃん雪あり月

 形は他の冬のイベントと似ているが、その心意気は少々異なる。参画・参加・参集する人たちが、そこにいることに、そこに暮らしていることに、誇りを持てるということ、持とうということ、そこが肝要なのだということだ。

 鍵は「自尊心」。ぼくは、ここに「好奇心」という、もうひとつの鍵を見いだしたいと思っている。

雪と蕎麦

私、雪が降ると、蕎麦が欲しくなるのです。

なぜでしょうか。理にはかなっているとは言い難い。蕎麦は身体を冷やすから気をつけよと、『和名抄』の頃より言われていることでもありますのに。

あぁ、叶いうるのであれば、雪が降る何もすることのない休日に、列車に乗って鄙びた蕎麦の店に出掛けてみたいものです。

しかるに、夢は夢。厳しい現実もまたよいものです。今日は吹雪の中を、仕事で出掛けました。写真は車をとめて撮った三沢の風景です。

閑話休題、本日の主題です。

上の写真、二皿に乗せられた蕎麦の実ですが、どちらかが「横田小そば」の実です。おわかりになりますでしょうか。まあ小そばというくらいですから。

答えはこちらのページにあります。

「勝手に奥出雲探求レポート~~奥出雲そば~【横田小そば復活の秘話】」

横田小そば復活の物語、一読いただけましたか?

小生、この小そばづくりを手伝う交流をひとつやってみたいのだがと、とある方に打診しておったのですが、今日、少々またお話をすることができました。

仰るに、横田小そばは、仁多郡の中でも方々でその種(DNA?)が違うというのです。地区Fで採種栽培されてきた蕎麦こそが、ぴかいちでうまいのだと。そのF地区の蕎麦を守り育てるために、交雑しない方法であること、というのがひとつの条件だということです。

いまでこそメジャーになった横田小そばですが、なかでもこのF地区のものとなると、かなり量は限られますし、流通などもちろんしません。

この地に来なければ食すことはできません。

いいですね、食べてみたいですね。在来種と他の地場産蕎麦の食べ比べなんていいな。

奥出雲の地で、蕎麦と、水と、酒と、世にも面白い物語の調べを堪能する、極上のツアーをひとつ企ててみたいなあと、思ったのでした。

……つづく。

公共事業のパラダイムシフトが起こった90年代とその後

新年早々、初詣客の統計を調べていた。
出雲大社の初詣客数を予測してみることを「ネタ」にしようと目論んだのだが、そこから「初詣」とは「儀礼」とはという問いの深淵をのぞくことになってしまった。
よって、このお話はもう少し調べねばならぬ。
今日は回り道の過程でひろったデータをひとつあげて、自身の備忘と課題をあげておく。
「公共事業の動向」「社会実情データ図録」から
解説の中で毎日新聞の記事が引用されている。とても重要な官僚の証言であるので、少々長いが、ここに孫引き。

 毎日新聞は「公共事業はどこへ」という連載記事の中で官僚から次のような当時への回顧談を引き出している(2010年3月4日)。
『「あるころから、お金を世の中に巡らせることが自分たちの役割となり、お金を公から民へ流す蛇口になってしまった」。道路官僚は説明を続けた。「あるころ」とは政府が公共投資基本計画をまとめた90年を指す。...「それまでの予算編成は、これをここに造らないといけないから、いくらかかるという考えだった。だが、これだけ世の中にカネを出さないといけないから、それに見合った仕事を作れというふうに、パラダイムシフト(枠組みの変化)が起きた」と指摘する。(※赤字強調は筆者)
...旧自治省景気対策にかかわった元官僚は「地方が『これ以上嫌だ』と言ってもやらせた。公共事業をしなければ、経済はもっとひどいことになっていた」と話す。
しかし、副作用が出る。道路官僚は「ゼネコンの金と票が政治家に行き、そこに官僚が金を付ける構造になってしまった」。89年度に50万9000社だった建設業者は、ピークの99年度には60万1000社に達した。
同じころ、日本経済の体質変化も進んでいた。高度成長時と異なり、公共事業投資が大きな経済効果を生まなくなったのだ。...だが、「新設中心」から「維持補修中心」へ変えるなど、時代の変化に合わせた政策転換はされなかった。』
少し、引用が長くなったが、当時の雰囲気はこんな感じであったかと思う。確かに、こうした公共事業の急拡大も異常であったが、実は、その後の急縮小も異常である。急縮小の方の異常さはなかなか記事にならない。

記事中、もうひとつの論点である「維持補修中心へ」の政策転換。この必要性は、方々で耳目に入ってくる。わかりやすくのは下の図。
しかるにこれをみても、「ピン」とくる人は少ない。現実にもトンネルのコンクリートが崩落する事故が起こり、全国のトンネルの総点検が緊急に実施されるような事態が起こっていてもだ。問題が整理されていないのではなく、まるで認知症にかかったかのような、想像力の欠如がひろく進行しているのを感じる。

この図は平成21年作成のものだ。25年度・26年度をふまえてどうなるのかをみてみたい。また、島根県の場合、公共建造物的インフラは比較的新しいものが多いのではないかと思うがどうだろう。そのあたり、中四国地域の数字をひろいながら、実感と数字をすりあわせてみようと思う。

道の過去と未来

 2013年12月7日にこの記事をテストとして記した。

 川の道、山の道、鉄の道。

 これら、すべて、今、人が省みなくなっている「道」なのである。

 鉄の道については、とくにここ奥出雲の歴史にかかわるところ大ではあるが、他の日本の村においても見落としがちな道である。

 

ホースセラピー

 

 上の記事から7年後の2017年12月18日に追記する。

 このときに抱いた思いはいまでも変わらない。

 忘れられた道の痕跡はいまでも、手をのばせば届く過去を生きた人の記憶に残っている。

 牛の道、峠、塞ノ神、馬頭観音……。

 あと少し。あと少し。